時代とともに地域とともに歩む

待矢場両堰土地改良区 

〒373-0063 群馬県太田市鳥山下町402-1

渡良瀬川中央土地改良区連合

概  要

 太田頭首工及びその関連する主要な施設(基幹施設)については、待矢場両堰土地改良区と三栗谷用水土地改良区の組織による「渡良瀬川中央土地改良区連合」が昭和61年2月8日に制定され発足し、国から管理委託を受け、施設管理を行ってきました。
 平成8年度からは、基幹水利施設管理事業によって、国に代わり、群馬県から操作委託を受け、渡良瀬川中央土地改良区連合が操作及び一部管理を行っています。
 現場での管理は、群馬県太田頭首工管理規程、渡良瀬川中央土地改良区連合維持管理計画書等に基づく通常管理・操作の他、大雨注意報・警報等の気象通報発令時の緊急対応などを行っています。

  



渡良瀬川中央土地改良区連合の組織図

 


太田頭首工造成経緯

1)太田頭首工造成前
    
(待堰)            (矢場堰)          (三栗谷堰)

 太田頭首工造成前は、渡良瀬川上流から順に待堰・矢場堰・三栗谷堰が設けられていました。その歴史は大変古いもので、古文書によれば、この3堰は元亀元年(1570年)に新田金山城主・由良信濃守成繁の命を受けて造成されたと記録されています。しかしながら、待堰下流部には奈良時代のものとされる遺跡・水路跡が発見されており、待隻の起源は飛鳥時代(700年前後)まで遡ることができます。矢場堰は、新田岩松家の家臣であった矢場氏が永正年間(1504年~1521年)に、領内を灌漑するために築造されたとも伝えられています。江戸時代には下流の借宿堰を含め「渡良瀬四堰」と呼ばれ、幕府が著勝管理していました。

2)計画・工事
 太田頭首工は、渡良瀬川に設けられていた待隻・矢場堰・三栗谷堰の三堰を1ヶ所に合口し、永久的に安定した取水が確保されるよう築造するもので、渡良瀬川流域では最大規模の頭首工です。
 頭首工は河川状況、受益地の位置等を考慮し、必要な取水機能並びに堤体工等構造上の安定が確保でき、更に、維持管理に便利な地点であることから待堰上流約70m地点を選定し、築造されました。
 施工方法は、施工に先だち左右両岸に資材運搬用の仮設道路を設け、河川内工事は需要期を避けた11月~5月に渡良瀬川を半川締切で行い、第1期として右岸側本体工並びに左岸護岸工を施工し、第2期は左岸側本体工を施工、第3期は右岸護岸工、河川外工事として管理事務所の新築及び粗流沈砂池、排砂樋管を施行しました。
     

関連施設

太田頭首工
  位置図はこちら(Google Map)
国営渡良瀬川沿岸農業水利事業(昭和46年~昭和59年)により造成された頭首工です。同事業では、渡良瀬川に3頭首工(大間々頭首工、太田頭首工、邑楽頭首工)が造成され、その中で最大規模を誇ります。造成以前には待堰、矢場堰、三栗谷堰の三堰がありましたが、それらを1ヶ所にまとめ6,640ha(当時)の水田用水を抜本的に合理化し、永久的に安定した用水が確保出来るように築造されたものです。
太田沈砂池
 位置図はこちら(Google Map)
太田頭首工から約2.5km(太田幹線)下流に位置し、幅4mの水路を6連設けることにより、流速を落とし、粒径6~0.25mmの土砂を対象に沈降させるように設計されています。
山地流域からの流入量の大部分を排除する必要もあることから、沈砂池と放余水工を兼ねています。
矢場分水
 位置図はこちら(Google Map)
太田幹線水路の最末端に位置し、太田頭首工から最初の分水工であり、ここから新田堀幹線、矢場幹線の2系統に分水しています。。
小瀬墓分水
 位置図はこちら(Google Map)
写真右側は、三栗谷用水土地改良区の受益地へ流れていき、左側は、太田市を通り邑楽町、館林市へ流れていきます。

渡良瀬川中央土地改良区連合 配水計画

 令和2年度の配水計画が令和2年4月28日の理事会において定められました。

  【令和2年度 配水計画】(PDF)